ナマケモノですが、意外とものを考えます

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ジャーナリストとメディアカンパニー 賭け麻雀を機にもう一度考える

黒川元検事長産経新聞朝日新聞の検察担当者らがコロナ下で賭け麻雀に耽っていたことが発覚し、権力とメディアの癒着が今一度、実例を伴って問題視されています。

このサイトは本稿執筆時、まだ3稿目で読者の想定は何もありませんが、今回はジャーナリズムとは何かとジャーナリズムが抱える永遠の課題を改めて文字に起こしておこうと思います。ですので、癒着が生んでしまう隠される事実を無くすためにどういう仕組み・関係構造をつくる努力ができるか、また国民がどう付き合うべきかについてまでは踏み込みません。またいつか書くかも知れません。

そもそもメディアとは情報の収集、伝達拡散を専業とする組織です。私たち個人も身の回りに起きた出来事などをよく次回友人と会ったときの話のネタしたりします。対してメディアは個人では到底有することが出来ない、拡散力やブランド(信頼)や豊富な人材からなる広く深い取材力を擁して、国民一人ひとりが直接見聞きすることが出来ないが知るべき社会の事実を可能な限り全て伝えること、これがメディアの責務です。

 

そしてそのメディアを構成しているのはジャーナリストたちです。メディアカンパニーに属する専業ジャーナリストが彼らたらしめる根本理念は何か。

政府関係者や企業の不正や非公開の不都合な真実を暴くには、それら組織の人間と深くつながる必要があります。優秀な政治家や企業役員も人間です。交友を深めてこその信頼感がなければ、自分と自分の周囲の現状を良い方にも悪い方にも変更しうる情報の開示などありません。初対面でも引き出せる情報はありますが、そこで掴める情報は現状をこれから変えはしない既出の情報でしかありません。国民はもう知っています。

ジャーナリストはまだ誰も知らない事実を掴み白日の下に晒すために相手に密着するのです。ジャーナリストの根本理念は「密着」。しかしそれに似て非なる言葉「癒着」はメディアがジャーナリストに許してはいけない事とされています。それはなぜか。

 

まずは癒着がまぜ生まれるのか。

政府の記者会見で呼ばれるメディアには偏りがあります。これはブランドの大小ではなく政府にとって都合の良いメディアが選ばれる傾向がありこれは事実です。この偏りはこれまで各メディアに属してきた(している)ジャーナリストが築いた交友関係や報道内容に若干の程度の差がメディアごとに生まれ、これが大きくなったものです。(私たちだってそうです。気の合う人と気の合わない人とでは前者と交遊したいと思うことが多いでしょうし、それはこれまでの小さな差の積み重ねです。)

この親密度・信頼度に偏りが生まれるのは必然であり無くすことは出来ませんが、これが癒着を生みます。それらの偏りが人間にそもそも生じないのなら他のジャーナリストより更に懐に入る利益がありません。しかし偏りは生じるので入手しうる情報の濃度には差が生まれる。そして一度生まれた、他のメディア(ジャーナリスト)に対する優位性と親密な現状を、保とうと思うことから癒着が生まれるのです。

癒着とはジャーナリストと取材相手との親密関係が互恵関係になること。例えば、今回の賭け麻雀事件。明るみに出たのは2020年6月ですが、前川氏は賭け麻雀が数年前からの趣味だったという取材結果も出ており、それを何年も前から知っていたジャーナリストたちが居たわけです。法を扱い国の秩序を保つことが使命である検察のトップが法を破っていたということですから、白日の下に晒すべき事実であるのにも関わらず、前川氏に密着してきたジャーナリストたちは何年もそれを隠してきたわけです。それは発覚して欲しくない気持ちと便宜を図り合えるという利害の一致、つまり癒着によるものでしかありません。

 

取材対象者との親密度・信頼度にジャーナリストごとの差、それが大きくなりメディアごとの差となってしまうのは、現状のジャーナリストとメディアカンパニーの関係構造が前提であれば人間の性質からして無くせないものです。そしてメディアカンパニーとしても彼らが資本主義社会の企業である以上、他のメディアが入手できない情報を入手し報道しようとすることは避けられません。しかしこれが癒着を生み、報道すべき事実であるのに、その真実を知るまたは知り得る両者からなるグループが互恵関係となり閉鎖的になることが問題なのです。互恵関係にないグループ外のジャーナリストが情報にアクセスし得ることさえできなくなる。そうして、事実を報道しない専業ジャーナリストが増えることで、事実は隠されていくのです。

 

事実を報道しない専業ジャーナリストとメディアをなくすにはどうすれば良いのか。改善は難しくとも、世の中の情報をメディアに頼る私たち国民は、一人ひとり考えなければいけない課題です。