ナマケモノですが、意外とものを考えます

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情熱を失った時どう考えるか 人生哲学

就活でいくつかの企業から内定を得た。その中には大企業も中小企業もあった。給料も高く有名な企業からも内定は頂いていたが、小さい企業ゆえに自分のやりたいことができると思って中小企業に入社した。そして時間が経ち自分のやりたいことを追い求めていたあの頃から10年。

シーマン「お前さあ今の仕事始めて何年」

ある男「そうやな32やからもう10年やなあ」

シーマン「へー長いじゃん。いい加減仕事もマンネリ化しちゃってつまらなくなってるんじゃないの」

シーマンでもねえそういう時こそその会社に入った時のことを思い出してご覧。何のためにこの会社に入ったんだってね。それなりに理由があったんだろ?」

 

本当にそれが解決策なのか、日本昔からの温故知新的な考え方ではあるが、、、「旧態依然な考えでもある」

 

仕事に対する情熱を失った頃には職場の密な人間関係ができている、もしくは自分もその和の一員になっている。さらに年を重ねると後続や取引先との関係の中で責任感・自負が生まれる。そうして入社時の意義を失っても、これからも席に座る意義を得て定年まで通い続ける。

これが旧来の日本の「サラリーマン」像ではないか。

しかし現代のこれからの、大小厚薄様々な歯車として社会の一員になる若者たちの環境はどうか。

定年円満退社。難しそうじゃないですか。絶対難しいです。

 

シーマンでもねえそういう時こそその会社に入った時のことを思い出してご覧。何のためにこの会社に入ったんだってね。それなりに理由があったんだろ?」

 

自分が昔追い求めて来た憧れ、少しその実現に近づいた今、憧れになれるよう仕事を学習を研鑽に励む。

これ、過去の自分が憧れていることを自分がまだ追い求めていると無呼吸的に信じているのでないか。自分の過去の思考による意識の刷り込み。未来生まれるであろうAI生物は全ての記憶が一つの欠損なしに保存され、いつでも引き出せます。見たもの聞いたもの考えたこと全部。AIを有した生き物には過去はないという有名な言葉があります。人間には過去があります。

人間の私たちにとって、過去の自分はもはや記憶でしかありません。AIにはかつて自分が何かに魅了されていた事実は宇宙の支配理論的には過去の事象ではありますが、過去の記憶ではなく現在の一部です。そうするとAIを有する生き物は一度芽生えたパッションは利益選択的には消えることはあっても自然には薄れないのかもしれません。

確実に脱線です。

かつてのパッションを今の自分の体験で上書き増幅させることはできるかもしれませんが、過去の自分の掘り起こしで取り戻すことができないのなら。

もういっそ、今魅せられているものにチャレンジしてみる。

 

マンネリ化してつまらなくなっているのなら、(ただ職場を変えるのでなく)今より惹かれるものに飛び込んでみる。

 

そしてもし飛び込んで後また、その情熱を新たな情熱が勝ったのなら、また新たな情熱に従ってみる。

これは子どもの頃、遊び道具が一瞬は無心で熱中するけれどコロコロまた新しいオモチャに変わるのと同じです。

小さな自分だけの世界の中で何のしがらみもなく自分の惹かれるものに従順だった時代。

 

そんな時代の生き方は唯一解ではないです。ただバブル時代が現代に繋いだ「定年退職」の生き方も唯一解ではないです。情熱に従ってみる生き方では、収入は不安定になるかもしれないし、家庭を省みないとも思われるでしょう。それらの考えは間違っていません。が同時にどんな人生哲学(何を為すかではなく)も間違いではないと思うのです。

 

これは僕が今魅せられている人生哲学です。

 

 

と大学の専攻に迷う男が考えました。

 

引用元

ある男: ゲーム実況者わいわい