ナマケモノですが、意外とものを考えます

ナマケモノですが、意外とものを考えます

戦争には本当にひとつも良いことがないのか。

2020年6月執筆時現在、新型コロナウイルスは世界中で猛威を奮っており、人類としては今回のウイルスには打ち勝てそうですが、社会や経済は今以上にさらにズタボロになりそうです。

そんな中、アメリカで凄惨な事件が起きました。人を攻撃するような危険性はない罪で現行犯逮捕された黒人男性が、警官により絞殺されるという事件です。アメリカで毎年のように起こる白人警察による黒人の殺人事件は、アメリカという土地が建国してから拭えない国民構造・感情を浮き彫りにしています。この事件についても思うことがありますので、また別の記事で記すことにします。がここでは、最近観た戦後映画『ヒトラーの忘れ物』"Land of Mine"を観て感化された思いを綴ろうと思います。

まずは映画の紹介

 2015年に公開された、戦後を描く映画"Land of Mine"デンマークとドイツの合作で監督はデンマーク人のMartin Zandvliet。非常に有名な映画ということですが、これまで観たことがありませんでした。当時、キネマ旬報のフリーペーパーで見つけて興味があったのですが、ようやく観ることが出来ました。

映画の舞台は陸続きのヨーロッパのなかで北に出っ張り国境の大部分を海に占めるデンマークの浜辺です。ときは1945年。1億を軽く超えるほどの死傷者を出した第二次大戦は、1945年にドイツが降伏しヨーロッパでは戦後処理が始まります。大戦中にドイツの完全な占領下に置かれていたデンマークの国土では、連合国軍のヨーロッパ上陸作戦に備え枢軸側がいたる海岸に地雷を埋設します。その数200万。この撤去に動員されたのはデンマークで捕虜となっていたナチス・ドイツ軍少年兵でした。「憎きナチスの兵士たち」だとして、人として扱われず地雷の専門家でもない、ただの子どもたちが、なんの装備も与えられずに自分の体と心を犠牲にして海岸に埋められた200万という数の地雷の撤去に隷従させられた、人の傷つけ合いが終わったはずの戦後にも戦勝国が敗戦国の人を無為に無残に傷つけていたという実話を伝える映画です。

 

戦後映画が伝えるべき、「戦争が戦中と終結後に残す悲惨さ」、「もう2度と繰り返すしてはならない」というということを、余計な装飾を加えずに純粋にフィルムに描いています。戦後を描く映画としては最も伝えるべきことを伝えている映画だと思いますので、ご覧になっていませんでしたら是非ご覧になってください。

ヒトラーの忘れ物』"Land of Mine"です。

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強制的に徴兵され銃を持たされ逆らうことが不可能な状況で、ただ戦っただけの子どもたち。彼らが映画で伝えられた日々を遥かに超える壮絶な体験をしたという事実を断片でも知るだけで、戦争を体験した当事者ではないですが、怒りや憤りでは片付けられない複雑な感情が湧き上がります。「戦争はすべきではない」というのは本当に正しいと思います。

ただ、この一面では戦う人とその家族に壮絶な痛みを体と心に与えるのが戦争ですが、戦争が本当にひとつも良い側面はないのでしょうか。つまり、最低でもある個人や特定の集団にとって何らかの利益を戦争がもたらすことは一つもないのでしょうか。そんなこと考えたくもないかもしれませんが自分が許すのであれば、少し考えてみてください。すぐに思いつくと思います。例えば戦前と戦後も含める戦期の科学技術の研究開発。いま私達が使っているインターネットもスマホのマップもパソコンもすべて、当時の科学者・技術者が、暗号の通信・解読技術、ロケット技術、精密機械製作など戦争に勝つために必要だったあらゆる科学技術の基礎を築いてくれたおかげで存在する代物なのです。戦争がなくても技術は進歩するでしょうが、先の戦争がなければ、道具に溢れた私達の現代社会はこの世界線ほど豊かではないでしょう。また戦争が広域で長期間で劇的であればあるほど研究開発は加速したのです。

さらに日本国民が実際にかつて体験した戦争の恩恵があります。「朝鮮特需」と呼ばれる朝鮮戦争が行われていた1950年代の経済現象です。なんと朝鮮戦争が勃発した時期の日本が稼いだ外貨の内、半分は朝鮮特需によるものだったようです。外貨以外にも多くの食品を含めた製造業や建設業、サービス業、鉱業などの日本企業が思わぬ大利益を生むことになったのです。

戦争は条件によっては「平時を超える・平時と異なる物資消費」により多くの産業で大きな利益が生まれる経済の一種なのです。

 

話はちょっとそれますが、
Netflixで2020年春に公開が開始された攻殻機動隊の最新作アニメシリーズ『攻殻機動隊 SAC_2045』も一貫して「持続可能な戦争」つまり経済としての戦争が背景に製作されています。戦争経済とは何かを触れることができる点でも良い作品をまた世に残してくれました。もしどういう訳かNetflixに加入しておらずそしてNetflixの無料体験をすでにやってしまっていたのなら、まだ1シーズンしかまだ製作されていないですが、この全12話のためだけに800円払う価値は大いにあります。本当におすすめできます。

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またアメリカでは多くの軍産複合体が存在しアメリカ社会で強い力を持っていることなどからもわかると思いますが、戦争で利益をあげる人は必ずどの戦争でも存在するのです。

戦争に両面があることは否定できません。すべての戦争で痛みと喜びは両立するのです。二律背反が同時に同じ世界で成立してしまうところが難しいところなのです。第二次大戦が終結して程なくして、戦時国際法(国際人道法)が制定されました。もちろん日本も批准しています。この国際法(条約)は戦争中の軍人に対する無為な殺人や民間人の殺人を禁止し、終戦後の捕虜と敗戦国の軍人・民間人の人権を保護するためのものです。戦争によって子どもたちが地雷の撤去を強制されることはもう二度とあってはいけませんし、この国際法はそれを破ると戦争犯罪者になることを規定し重く禁止しています。戦争も、いまの国連が設立された理由の基本理念によって禁じられています。しかし、国連発足後も国家間の戦争や紛争は耐えません。近年では中東の紛争が一番大きな例です。この紛争は何千万という途方も無い数の難民を現時点で生んでいます。

 

ここからは哲学なのですが、国連が戦争を起こせば国家に罰が下ることを規定していても複数の国を巻き込む凄惨な戦争がこれから恒久に起きないとは言えないでしょう。"Land of Mine"を超える体験を兵士がすることを考えると戦争は絶対すべきではないです。ただ利益をあげられる人、集団がいる限り戦争がなくなることはないです。戦争をする強い動機があるからです。

 

先の二度の大戦とそれが尾を引いてきたこれまでの世界が大きな科学・技術の進歩を遂げたのは確かですが、それは億人の痛みのもとに築かれています。人類は私たちを人間たらしめる知性と好奇心を満たす、便利な道具が自分が死ぬまでに生まれる社会の到来を選ぶのか、技術・経済が進歩しない、より根本的には人間の原動力となっている欲求の充足を停滞させ、戦争で誰も傷つかない社会を選ぶか。究極的で誇大ですが、まさにどちらを選ぶのかだと思います。

 

ちょっとまた逸れます

 人類がどちらを選ぶのかという話ですが、より個別に見ると第二次大戦があそこまで壮絶なものになったのは、国民を扇動させた一部の人間に原因があります。最近は特殊なゴーグルを装着することでかなりリアルな映像体験ができるVRというものが存在します。戦争を始めようと思った人には、宣戦布告ないし先制攻撃の前に必ずVRで戦争に駆り出されて傷つき、捕虜になって非人道的な扱いを受ける人の体験を味わうべきです。数分ではなく数日。戦争をしようなんて思う人にVRを観なければならないなんていう法律があっても、強制力をもたないでしょうが。。。

逸れ終わりです

 

これは、目には目をのハンムラビ法典とは異なりますが、人民が味わう前に戦争の責任も持つ人がまず最低でも人民一人分の痛みのほんの一部でも味わうべきです。痛みを身に持って体験すれば、なんて過酷なことを強いさせようとしていたんだと、さじをぶん投げるかもしれませんから。ここではさじではなくVRゴーグルですが。

しかしもし戦争が与える兵士の痛みの体験を指導者に強制できるハードウェア/ソフトウェア(攻殻機動隊の電脳のような)が開発されたとしても、これまた攻殻機動隊の電脳戦のように対抗技術も開発されるでしょう。

結局人類は、他の動物のように自然淘汰にまかせて進化するではなく、己で己をアップデートすることで進化する技術文明に舵を切った以上、公益の追求と技術進歩はいたちごっこなのだなと。その点で人間はいつまでも自己満足ができない種だと言えます。

二度と凄惨な殺し合いは起きてほしくないですが、今日のように発展した社会をそれを最大限享受できている私たち先進国の人間が否定することも出来ません。たとえそれが戦争によりもたらされたものだとしてもです。

 

大変締めくくりの悪い雑記を最後まで読んでくださりありがとうございました。こんなテイストでいろいろな問題について思ったことを綴っています。また違った記事でお会いしましょう。